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【リベルダージ②】ルーツの旅|ブラジル福島県人会にて

Date :2018.10.30

「リベルダージ」という日本から約30時間のリトルジャパン。
今は「東洋人街」と呼ばれ、日本だけでなく中国や韓国の人も増えて
雰囲気が変わったと言われているけれど、県人会を始め日本の移民の文化や歴史、
日系人の生活が感じられる場所であるのは間違いないと思うんです。
ブラジル・リベルダージ ①日本から一番遠い日本で

私はこのリベルダージで特に2つ訪れたい場所があった。
一つはブラジル日本移民史料館。
そしてもう一つは自分の祖父・祖母の故郷でもある福島の県人会だった。


ブラジル福島県人会

ポルトガル語の名称は、
Associação Fukushima Kenjin do Brasil

発会年は1917年 大正6年。
昨年2017年に創立100周年を迎えた、ブラジルの中でも2番目に歴史のある県人会だ。

戦前とても貧しかった日本。
特に東北の貧しさから逃れるよう応募した日本人が多くいたようで、
沖縄、北海道や九州に次いで福島は日本で5番目の大量移民を送り出したという。
ブラジルだけではなく、ペルーやハワイなど海外への新天地を求めて移民した人が多くいたよう。

私はそんな移民でブラジルに渡った方々のお話を聞きたいと思い、リベルダージ にある福島県人会を訪れてみた。突然行くのも不安だったので、日本にいるときにネットで調べ、福島県人会の事務局長の曽我部さんに連絡を取り、県人会のお話や今の県人会の状況などなどお話を聞きたい!と伝えたら、快く承諾して下さいました!


そもそも県人会とは…?

都道府県人会とは、出身都道府県を離れた地域で結成される都道府県出身者の、縁故者の親睦、連絡、協力や郷土への貢献等を目的とする団体のこと。(wikipediaから抜粋)

その福島県人会は2017年11月では、
約200名程度の会員がいて、サンパウロで年に1回開催されるお祭りや、年2回開催される喜多方ラーメン祭りなどを通じて県の情報発信や県産品のPRなどを実施しているという。


福島県人会事務局長 曽我部威さんのお話

今回突然の連絡にも関わらず、快くお話をして下さった曽我部威事務局長。
曽我部さんは日本とブラジルを計30回以上往復していて、お話を聞いた翌年も福島に行く用事があると話してくれた。

福島県人会は発足してから100年程になり、当たり前だけど当初ブラジルに渡った移民の多くは高齢になっていたり、亡くなっている方も多く、その子孫の2世、3世、4世・・・の会員が年々少なくなって来ている。そして3世4世5世となるにつれ、日本に対する想いが薄れ、県人会の存在すら知らない人もいるという。

曽我部さん自身もやはり、子孫のそういった日本に対する愛国心的なものが薄れていると肌で感じているという。
でも同時に「それは仕方がないこと」だと思っている。と話してくれた。

「悲しいけれど、若い人の日系社会や日本に対する関心は薄れている。ブラジルに根付いてきた証拠でもある」と話す。

私自身ももしずっとブラジルで生活してたら、日本に来ていなかったら、と考えると、どれほど日本という国に興味が持てて強い絆を感じたのかな?と自問することがある。

現に私の日系人のいとこで全く日本に来たことがない、日本語を話せない彼らを見ていると日本に対する愛国心をあまり感じない。でもそれがある意味自然なことかもしれないなとも思う。ブラジルに住んでいるからブラジル人として のアイデンティティーになっていく、ごくごく自然な流れだなと感じる。

それでも曽我部さんは、若い方にも日本に行ける機会があればいいと話していた。

福島県人会では福島県と協力し、県費留学生制度といって、福島に何人かのブラジル人留学生を送っているという。福島県人の子弟であれば応募できるこの制度で、日本を訪れ文化交流を行う機会を設けている。

ブラジルと福島の架け橋となる人材育成を目的としたこの制度で、昭和41年から今まで201名の留学生が福島を訪れたという。


県人会を訪れて

今回絶対に行きたい!と思っていた福島県人会。

私は、福島出身の祖父母の孫として、唯一福島を訪れたことがある。(孫は計11人いる)
私が福島を訪れたのは4、5歳の時で、当時のことはあまり覚えていないけれど母曰く、祖父はとても喜んでいたという。
故郷を離れ、はるか遠くブラジルに移住を決意した祖父母が長い間を経て、また福島を訪れた時どんなことを思ったのだろう。

祖父は東日本大震災の一年前に亡くなった。
祖父の出身地は原発からほど近い浪江町で今もなお帰還困難区域。
もし生きていたらどんな思いでこの悲劇を受け止めてたのか・・と考えることがある。

かつて移民でブラジルへ渡った日本人はどんな思いで故郷を離れ、どんな思いでブラジルに移住してきたか。故郷への懐かしさや切なさを、はるか遠いブラジルでどう慰めてきたのか。同郷の集まりである県人会を通してお互いを慰め合い、心の拠り所にしていたんじゃないかなと、今回の訪問で思った。

県人会の曽我部さんにお会いした時も、曽我部さんはとてもよくしてくれてこうやって若い人にもっと興味をもっていただければいいなと話していた。

私自身も日本に来て、様々な葛藤や経験をしていく中でブラジルと日本のアイデンティティを強く感じ、こうやって祖父母の故郷に興味を持った。そして日本から一番遠いブラジルでどんな思いをして生活をしていたか。今亡き祖父母がどんなことを思ってブラジルに渡ったか知りたいという思いが今回の県人会に足を運んだ最大の理由だったと思う。

日本に帰ってきて、今こうやって記事にしている間ももっと話が聞きたかったという感情に掻き立てられている。

またブラジルに帰ったら絶対にまた県人会に行こう!そしてもっと話を聞こうと思います!

(いつかまた続編が書けることを願って・・・)

リベルダージ での記事はまだ続きます!次回は念願だった日本移民史料館での記事です!


ブラジル福島県人会

所在地:Rua da Gloria, 721, Liberdade, São Paulo, SP, CEP 01502-001
地下鉄1号線リベルダーデ駅下車、徒歩10分


東日本大震災で被災された多くの方々、ご家族の皆さま心よりお見舞い申し上げます。
また1日も早い復興を心より願っております。

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